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新島八重
のゆかりの地
幕末のジャンヌ・ダルク
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新島八重は、弘化2年(1845)に米代四ノ丁(今の米代二丁目)で、砲術指南の山本権八(ごんぱち)の三女として生まれました。
慶応4年、板垣退助が指揮する西軍が城下に攻め入った時、24歳の八重は、砲撃の指揮を取ったりしました。
降伏・開城の時には、城壁に「明日の夜は何国の誰かながむらん、なれし御城に残す月影」という歌を刻み続けて退却するなど、忠君愛国の精神を持った人でした。
1. 新島八重の誕生の地
会津若松市米代2丁目
1845年、会津藩の砲術師範であった山本権八・佐久夫妻の子として誕生。山本覚馬・八重の生まれた地。
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【アクセス】
路線バス「米代二丁目」下車
徒歩、2分
路線バス「米代二丁目」下車
徒歩、2分
2. 鶴ヶ城
会津若松市追手町1-1
戊辰戦争時、鶴ヶ城で断髪・男装して新鋭スペンサー銃を携えて籠城戦に参加した。
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【アクセス】
会津まちなか周遊バス(ハイカラさん・あかべぇ)
「鶴ヶ城入口」下車、徒歩5分
会津まちなか周遊バス(ハイカラさん・あかべぇ)
「鶴ヶ城入口」下車、徒歩5分
3. 大龍寺
会津若松市慶山2丁目7-23
新島(山本)八重の先祖が眠る山本家の菩提寺である。本堂には戊辰戦争殉難殉節供養の碑がある。
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【アクセス】
会津まちなか周遊バス(ハイカラさん・あかべぇ)
「慶山」下車、徒歩5分
会津まちなか周遊バス(ハイカラさん・あかべぇ)
「慶山」下車、徒歩5分