松江豊寿
のゆかりの地
人道的な俘虜収容所長は会津人
16歳で陸軍幼年学校に入学した豊寿は、軍人としての道を歩み、大正6年(1917)44歳のとき、この収容所の所長となります。
豊寿は「ドイツ兵も祖国のために戦ったのだから」と敬意を表し、「武士の情け」を口癖にし、俘虜を信頼した自主性を尊重する寛容な態度を貫きました。
1. 高巌寺
会津若松市中央二丁目4番5号
会津藩士/松江久平と母/信子との長男として会津若松市の高厳寺の借家にて誕生。
【アクセス】
路線バス「大町一丁目」下車、徒歩2分
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2. 会津若松市役所
会津若松市東栄町3番46号
大正11年より第9代会津若松市長に就任
【アクセス】
会津まちなか周遊バス(ハイカラさん・あかべぇ) 「会津若松市役所前」下車、すぐ
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3. 飯盛山
会津若松市一箕町
市長引退後、飯盛山の白虎隊墓地広場の拡張に尽力
【アクセス】
会津まちなか周遊バス(ハイカラさん・あかべぇ) 「飯盛山下」下車、徒歩10分
会津まちなか周遊バス(ハイカラさん・あかべぇ) 「飯盛山下」下車、徒歩10分