平成30年は我々、会津人にとっては戊辰150年の節目の年でした。全国的には明治維新150年としてご存知の方もいらっしゃると思います。しかしながら、我々の故郷「会津」においては「戊辰150年」という表現がしっくりくるのです。
今なお、150年前の会津戊辰戦争の歴史は子供からお年寄りまで会津の実話として大切に言い伝えられてきました。我々の会津戊辰を全国の皆様に是非ご理解をしていただき、この会津へお越しいただきたいと思っております。
『大君の義、一心大切にに駐禁を存すべく、列国の例を以って自ら処するべからず」これは会津松平家初代藩主【保科正之】が定めた会津藩の精神的柱である「家訓十五カ条」の第一条です。
戊辰戦争当時の九代藩主である【松平容保】はこの徳川将軍家には絶対に忠誠を尽くさなければならないという教えを重んじて京都守護職に付きました。
しかし、時代は大政奉還という動乱期を迎え、旧幕府軍と新政府軍による激しい戦争が勃発し、会津藩は新政府軍の朝敵とされ、賊軍という汚名をきせられました。
この戦いを「会津戊辰戦争」と言い、少年隊士の悲劇で有名な白虎隊の物語やNHK大河ドラマで放映された「八重の桜」のヒロインである新島八重などが有名ですが、この戦争による悲劇の物語が会津には多く伝えられています。この悲劇の物語の根底にあるものが「義」つまり忠誠なのです。
前述で述べたように、藩主をはじめ家臣など、将軍徳川家への忠誠を貫き通すことが我々会津人にとっての「義」であったのです。
その精神は150年の時を経ても受け継がれ、会津若松の小学校では「会津っ子宣言」という教育の一貫として江戸時代より全国でも屈指の藩校であった日新館の教えであるならぬものはならぬという「什の掟」の精神が教えられ、「義」や当時の教えを受け継ぐ精神教育も盛んなのです。
結びに、戊辰戦争を語る上で有名な言葉を一つ紹介させていただきます。
今も会津人はこの言葉を大切にして生きています。どうぞ、実直に生きる会津人を訪ねて、歴史、郷土料理、風景、ふれあいを楽しむ会津の旅へお越しください。
皆様のご来訪を心よりお待ちしております。