白虎隊
のゆかりの地
会津と故郷のために命を尽くした少年隊士たち
戊辰戦争で新政府軍の仇敵となった会津藩は、本来は予備兵力であった白虎隊を、各防衛拠点へと投入するも最精鋭とされた士中隊も、奮戦空しく撤退を余儀なくされた。
負傷者を抱えながら、郊外の飯盛山へと落ち延びた士中二番隊であったが、そこから見る若松城周辺の火災を目にし、落城したと誤認して次々と自刃を決行したという。
1. 飯盛山
会津若松市一箕町
戊辰戦争時、16・17歳の白虎隊の少年隊士が会津藩士の武士として自刃した地。白虎隊士の墓がある。
【アクセス】
会津まちなか周遊バス(ハイカラさん・あかべぇ)
「飯盛山下」下車、徒歩10分
会津まちなか周遊バス(ハイカラさん・あかべぇ)
「飯盛山下」下車、徒歩10分
2. 藩校日新館天文台跡
会津若松市米代1-5-55付近
白虎隊の少年達も文武を学んだ藩校日新館は戊辰戦争で焼失し、天文学習の観測場であった天文台跡が唯一の遺構。
【アクセス】
会津まちなか周遊バス乗車(ハイカラさん・あかべぇ)
「鶴ヶ城入口」下車、徒歩10分
会津まちなか周遊バス乗車(ハイカラさん・あかべぇ)
「鶴ヶ城入口」下車、徒歩10分
3. 鶴ヶ城
会津若松市追手町1-1
飯盛山で自刃した白虎隊士は鶴ヶ城が焼け落ちていないことを知りながらも、武士の本分を貫き自刃した。
【アクセス】
会津まちなか周遊バス(ハイカラさん・あかべぇ)
「鶴ヶ城入口」下車、徒歩5分
会津まちなか周遊バス(ハイカラさん・あかべぇ)
「鶴ヶ城入口」下車、徒歩5分